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糖尿病性腎症とはどんな病気なのか。放っておくと人工透析へ

 

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糖尿病性腎症と人工透析

 糖尿病は、慢性的な高血糖となる病気のことですが、この高血糖が引き金となって、さまざまな合併症を引き起こします。糖尿病性腎症と呼ばれる病気もこのひとつで、糖尿病の三大合併症のひとつとされています。これは高血糖により腎臓内の糸球体(老廃物の濾過機能)の毛細血管が損傷し腎機能が低下することにより発症します。

 腎臓は尿をつくる役割を担っていますが、この尿をつくる機能というのは、体内の老廃物や毒素を濾過(ろか)することです。この機能が低下すると、本来であれば尿と一緒に排出される老廃物が血液中を再循環することになります。これが尿毒症と呼ばれる症状で実に危険です。

 糖尿病性腎症となったときには、この老廃物や毒素を人工的に濾過するための治療を受けなければならなくなります。この治療が人工透析です。人工透析は、一般的には週に3日ほどそれぞれ数時間以上をかけて行う必要がありますから、私たちの日常生活にとって大きな影響を与えることになります。

透析患者で最も多い原疾患は糖尿病腎症

 日本透析学会によると、2014年に国内で人工透析を受けている患者は約32万人で年々増え続けています。このうち、糖尿病性腎症を原因とする透析患者は約12万人で全透析患者の約4割を占めています。

 また、2015年に透析を開始した透析患者のうちで、糖尿病性腎症であることを透析開始の原因とする患者は約1万6000人で、これも全体の4割以上を占めています。このことは2015年に限ったことではなく、近年では毎年1万人を超えるペースで糖尿病(性腎症)を原因とする透析患者が増え続けているのです。

なぜか増え続ける糖尿病透析患者

 人工透析を受ける原因として糖尿病性腎炎の次に多い病気は、慢性糸球体腎炎です。従来はこの慢性糸球体腎炎が透析患者の原疾患として最も多い病気でした。1998年に糖尿病性腎症を原疾患とする患者数が慢性糸球体腎炎を原疾患とする患者数を上回り、そのまま現在に至っています。慢性糸球体腎炎を原疾患とする透析患者は年々減少していますが、糖尿病性腎症を原疾患とする透析患者は、減少傾向になっておらず、年1万人を超えるペースが続いています。

 ところで、とあるフリーアナウンサーが自身のブログに「自業自得の透析患者は・・・」という記事を掲載して話題となったことがありました。糖尿病(2型糖尿病)それ自体が生活習慣(過食と運動不足)を主たる原因とするものですから、どうしても「糖尿病患者=自己管理のできない人」というイメージになりがちです。それゆえに、糖尿病と診断されてもなお自己管理ができないのだから糖尿病性腎症となり人工透析を必要とするようになったのは、自業自得であるという論理にもなりがちなのです。

 しかしながら、糖尿病(性腎症)による透析患者が増え続け、現在でも年に1万人以上増えているという状況をその理屈だけで説明するのは乱暴な気がしてなりません。この1万人の中には、たしかに自業自得という方もいるであろうことは否定しないのですが、他方では、医師の言いつけをしっかり守り、糖尿病の治療に向き合ってきた方もいるはずなのです。

透析患者が減らないことから糖尿病治療を再検討してみる

 糖尿病性腎症は、糖尿病と診断されてすぐに発症するものではありません。一般的には糖尿病と診断されてから糖尿病性腎症を発症するまでには10年以上かかるといわれています。「糖尿病による透析患者が減らない」という現状を考えるときに、この事実は非常に重要です。これは、①10年以上も暴飲暴食(極端に言えば事実上の治療拒否)を続けてきた、もしくは、②10年以上も「効果のない治療」を続けてきた結果が人工透析であるということなのです。

 「効果のない治療」とは言い過ぎだと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、糖尿病の治療は「合併症の予防」が最も重要な目的ですから、人工透析を受けなければならないほどに糖尿病性腎症が進行してしまったということは、その患者が正しく糖尿病治療を受けていることを前提にすれば、その治療の効果がなかったと評価する他ないわけです。

 ②の観点からは、糖尿病食として伝統的に採用されてきているカロリー制限食に対する批判が糖質制限食の立場からなされています。これを端的にまとめれば、「1日の摂取カロリーの約60%を血糖値上昇の原因となる糖質から摂取させるカロリー制限食では、糖代謝の機能に問題のある糖尿病患者の血糖値をコントロールするのは困難である」ということになります。つまり摂取する糖質量が多すぎるということです。

 次に、①の観点についても、現代の医療のあり方に照らし合わせれば、必ずしも「自業自得」とは言い切れない部分があります。従来であれば、「患者は医療者の指示を(無批判に)守るべき」のが当然とされてきました。言い換えれば「病気を治したければ医者の言うとおりにしなさい」「医者の言うことをきかない患者が悪い」ということです。これに対し、今日の医療現場では「インフォームド・コンセント」という言葉がごく当たり前に使われるようになりましたが、これは単に「医療者の説明(情報提供)に基づく患者の同意」ということではなく、患者が十分に納得した上で「積極的に」その治療に同意することが大切であるとされています。

 つまり、糖尿病の治療は、長期に渡り患者の生活そのものに大きな影響を与えるものです。ですので、「糖尿病を治すために一生禁欲的な生活をしなさい」というような押しつけではなく、患者自身がより積極的に、自分自身のために大切なことであるとして治療と向き合い続けていけるように患者と関わっていくことも医療者の役割ということです。ですので、責任は患者だけにあるのではないとも言えるのです。

 糖尿病性腎症まで糖尿病診断後10年という時間の長さを考えれば、高血糖の状況も解消されていない(それどころか増悪している)と考えるべきですから、患者と医療者との間でこれまでの治療(食事・運動・投薬)について再検討する機会がなかったはずがありません。食事に関して言えば今の病院のほとんどはカロリー制限食の指導しかされていません。糖質制限食という食事法があるにも関わらずです。この選択肢のなさも糖尿病性腎症の数(人工透析者の数)が増えてしまっている原因ではないでしょうか。

ナラディブの重要性

 現代の医療では、ナラディブ(当事者の語り)の重要性が認識されつつあります。これを糖尿病治療に当てはめて分かりやすく説明すれば、たとえば「食事は毎日するものだから、糖尿病のことがあるから贅沢をしたいとはいわないが、せめて楽しみと思える食事をしたい」と言うような糖尿病患者の思いを糖尿病治療に反映させていく必要もあるのではないかということです。

 「楽しみと思える食事をしたい(これは決して腹一杯になるまで食べたいということではありません)」という思いそれ自体は誰しもが思うごく自然の欲求であるわけですから、それまでも問答無用に抑圧するようなアプローチで、辛い治療(生活)を続けさせるということは、かなり無理があると思われるのです。こういう思いを救い上げて医療に反映させていくのがナラディブの意義ですが、全然浸透していないのが現状です。食品交換表の指示に基づいたカロリー計算をしながら1日1200dkal制限の食生活を何年も続けること、いや数日という単位であっても、とても大変なことです。

 実は、インフォームド・コンセントにいうところの同意には、「患者はその治療を拒否することができる」という意味が含まれています。ですから、インフォームド・コンセントは、次の選択肢となる他の治療法が存在することを前提とするべきものです。糖尿病の食事療法において、カロリー制限食に代わる選択肢として糖質制限食が提唱されたことは、どちらの食事法が糖尿病の治療法としてより適切かということよりも、「選択肢ができた」ことそれ自体が、糖尿病治療のアドヒアランスを高める(患者が治療を積極的に受け止めることで治療をより遵守できるようになる)という観点で重要なことなのです。治療アドヒアランスの向上は、当然に将来の糖尿病による透析患者を減らすことにつながるものです。

 糖尿病性腎症による人工透析患者をこれ以上増やさないためには、糖尿病の治療がより発展していくことが重要であることはいうまでもありません。しかし、糖尿病患者自身も医療者に依存するのではなく、糖尿病の治療は、自分自身のこれからの生活にとってとても重要なことですから、正しい知識を持ち、自分のための治療を自分の意思で決定できるようになっていかねばならないということなのでしょう。

[参考記事]
「糖尿病性の網膜症と腎症になり35歳で人工透析に至るまで」

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